の本体をつかむわけには行きません。
「卑俗さ」といふことは、言葉どほり、卑しむべきものであるに拘らず、それが世間普通のことになつてゐるといふ状態から、そもそも研究してかゝらなければなりますまい。
「世俗」とか「俗世間」とかいふ言葉があります。世間即ち「俗」といふことになりますが、これは、もともと「出家」したものに対して世間の普通の人を「俗人」と云つたのを、転じて「凡庸」の意に用ひ、更に、卑しく品のないことを指すに至つたのです。殊に、「卑俗」、「俗つぽさ」となると、これはもう、「俗の俗なるもの」を指すことになります。それなら、その世間の「俗つぽさ」は何処から来るかと云へば、私に云はせると、やはり、久しきに亘る理想なき政治と、功利的な教育から来るのだと思ひます。いちいち例を挙げることを控へますが、実際、今日、屡々公の名に於てなされる事業や、その宣伝までが、「俗つぽい」なにものかを感じさせることを、私はひそかに憂へてゐるものです。日本の姿は決してさういふものであつてはならないと思ふからです。
「卑俗さ」の危険は、さういふわけで、世間一般が、それを普通当り前のこととして見過してゐるところにあり
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