もわかります。
「卑俗さ」はまた、自ら高きを以て任じる指導的言論のなかに、却つて誇らかな調子でそれが示されてゐることがあります。そこには、共通の、思想の貧しさが認められますが、その傾向の主な原因は、真の理想を夢みる能力を欠いた、性急な打算と手軽な効果とをねらふ功利主義、便宜主義であります。
従つて、本来、尊厳なるべき道徳の問題に於てすら、その道徳を標榜し、鼓吹する精神のうちに唾棄すべき「卑俗さ」を含むといふ大きな矛盾が、どうかすると平然と通用してゐることがあります。この「卑俗さ」は単に功利主義、便宜主義から生れるばかりでなく、多くは、見えすいた誇張、若しくは、われ知らず陥る自己欺瞞を伴ひ、低調な道徳観の、身のほどを弁へぬ思ひあがりを特色とするものです。
なるほど、一応、「道徳」を尊重するといふ身構へに於て、それは「道徳的」と云つて云へないことはありますまいが、しかし、そこに大きな問題があるのでありまして、例へば犠牲的行為といふやうなものでも、自らさう信じてゐるにせよ、若し仮りに、他の一面に於て、その行為が、何等かの報酬をひそかに期待したことが明らかであつたとしたら、これを犠牲的行為
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