人間の知識と経験とによつて、最も合理的に仕組んだ行為達成の手段を技術といふのでせうけれども、この技術は、単に知識と経験とによつて、完全にその目的を達するものではありません。それは前にも云つたやうに、魂、即ち精神の入れ方によつて、その技術は生き、または死ぬといつてもいゝのです。
 日本人は、由来、技術に魂を打ち込むといふことが如何に大切であるかを知つてゐました。ところがすべての技術に対して、これを純粋に知識化することが不得手であり、経験のみを土台として、多くは感覚的に技術の薀奥を究めようとしました。従つて、技術は常に個人の発見であり、門外不出の秘伝でもあつて、これが普及といふことは思ひも及ばぬことだつたのであります。そこから、一般の日本人は、技術といふものをたゞ後生大事に守ることのみを考へ、これに更に自分の工夫を加へるといふことをしませんでした。技術は磨かれ深まつては行きましたが、豊富にも大がかりにもならなかつたのです。
 ある人は、西洋の文化を技術文化と呼び、明治以来、日本は西洋からこの種の文化を移入したのだと云つてゐますが、なるほど、さういふ意味では、たしかに西洋人は日本人に「新しい
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