もわかります。
「卑俗さ」はまた、自ら高きを以て任じる指導的言論のなかに、却つて誇らかな調子でそれが示されてゐることがあります。そこには、共通の、思想の貧しさが認められますが、その傾向の主な原因は、真の理想を夢みる能力を欠いた、性急な打算と手軽な効果とをねらふ功利主義、便宜主義であります。
従つて、本来、尊厳なるべき道徳の問題に於てすら、その道徳を標榜し、鼓吹する精神のうちに唾棄すべき「卑俗さ」を含むといふ大きな矛盾が、どうかすると平然と通用してゐることがあります。この「卑俗さ」は単に功利主義、便宜主義から生れるばかりでなく、多くは、見えすいた誇張、若しくは、われ知らず陥る自己欺瞞を伴ひ、低調な道徳観の、身のほどを弁へぬ思ひあがりを特色とするものです。
なるほど、一応、「道徳」を尊重するといふ身構へに於て、それは「道徳的」と云つて云へないことはありますまいが、しかし、そこに大きな問題があるのでありまして、例へば犠牲的行為といふやうなものでも、自らさう信じてゐるにせよ、若し仮りに、他の一面に於て、その行為が、何等かの報酬をひそかに期待したことが明らかであつたとしたら、これを犠牲的行為と名づけることすら憚りありとするのが「道徳」であり、逆に、これを強ひて犠牲的行為とみなし、少くとも、敢て「美談」として吹聴するやうな精神は、「不道徳」とは云へないまでも、頗る低い道徳意識だとしなければなりますまい。
かゝる道徳観、道徳意識によつて導かれたあらゆる行為、あらゆる事業は、常に、その表現の空疎で月並な感激調と共に、最も「卑俗な」臭気をあたりに撒きちらします。ところが、かういふ臭気は世間にひろがり易く、多くの人々はそれに馴らされて、しまひにはそれを「道徳の臭ひ」だと思ひ込むやうになります。営利主義が「道徳」と結ぶのは、この虚に乗ずるよりほかはありません。
政治も亦、国民大衆を導く便法として、屡々この種の「卑俗さ」を利用したといふ風にも見えますが、実は、政治そのものの陥つた「卑俗さ」が、期せずして「俗衆」のみを対象とせざるを得なかつたのが従来の傾向であります。
思ふに、この「卑俗さ」は、単に道徳的な面だけでなく、一般に、綜合的な意味で、例外なく、「文化感覚」の鈍さ、乏しさを示してゐるのでありまして、すべての物象を通じて「卑俗さ」の主たる原因となるものは、恐らく、この「文化感覚」の幼稚、貧困、乃至は磨滅でありませう。
さて、この「文化感覚」でありますが、これは不思議なことに、現代日本に於ては、教育の程度や、社会的地位の高下とは聊かも関係がないのであります。山間の陋屋に住む無学な一農村青年が、堂々たる名士の講演を聴いて、趣旨はよくわかり、少しも異存はないが、どうもあの調子や言葉使ひが妙に気になると、首をひねつてゐるのです。聴いてゐる方で恥しくなるとも云ふのです。なぜかと問へば、正確な返答はできません。しかし、あゝいふことを云ふなら、あゝでなく云つてほしいといふ気持です。これはもう立派な「文化感覚」です。つまり、講演者の「文化的教養」を正確に評価する勘がそこにみられます。多分、紋切型の演説口調と、言葉の濫用による示威的な表現から一種の「卑俗さ」を嗅ぎつけ、これは意外だと思つたのでせう。
道徳的な低さは、道徳的でない、或は道徳がないこととは少し違ひます。これも詳しく話さなければなりませんが、問題が少しわきへ外れますから、こゝでは触れないことにして、更に、道徳的な低さと並んで、「卑俗さ」の原因となるものに、芸術的な低さがあります。これも厳密に云へば、芸術的でない、或は、芸術がない、といふこととは違ふので、芸術の要素はあるのだけれども、それが程度として低いことを指すのであります。つまり、美を目指して、美の最下部、即ち、マイナスの領分に安住してゐることです。わかり易い例は、無用の装飾がその一つであります。更に、醜い細工がさうです。世間はこれを案外歓迎するものと見えて、商品の大多数はこの手のものと云つて差支へありません。少し凝つた住宅や、旅館、料理店などにこの例がなかなか多く、婦人の衣裳は大部分さうだと云つてもいゝくらゐです。芸術家と称せられる専門家の作品にさへ、たまたま、売らん哉の似而非芸術品があることももちろんであります。
これは、「美意識」の低さによる「卑俗な」風俗の横行でありますが、同様に、「科学的」幼稚さから生れる「卑俗な」習慣といふものも考へられます。迷信の如きがそれであります。
しかし、かういふ風に、道徳、芸術、科学と三つの角度から「卑俗さ」の本質をしらべてみましたが、これは強ひて分ける必要もなく、また、それは可なり無理なことでもあるに拘らず、一応解りやすいやうに、分析を試みたに過ぎません。それゆゑ、これだけではまだ、「卑俗さ」
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