オて本質的な条件であるといふ理由は、いふまでもなく、「科」そのものも「白」と無関係であることはなく、かへつて「科」の大部は「白」によつて導き出されるものだからである。而も、「科」といふものは、消極的な規正法しかないのである。即ち俳優に対して、「さういふ科は不必要である」とか、「その科は嘘だ」とか云へるけれども、「かういふ科をしろ」とか、「その科はかうすべきである」とか云ふのは極めて不条理な註文なのである。つまり、「科をする術」といふものは存在しない。ここが即ち俳優教育上興味ある問題を提供するので、結局、「科がうまい」といふのは、いろいろな科を上手にやることではなく、必要な科のみを正確にやることなのである。

 発声及び発音の訓練は、将来、俳優としての才能を云々される場合に、殆ど忘れられるであらう事柄であるが、これは丁度、長じて政治家たらうとするものが、普通学として数学や歴史を学ぶ必要があるのと同様である。
 仏蘭西の教養ある家庭では、発音の矯正といふことは非常に重大視され、そのために一般の人達、殊に若い婦人などは日常の対話に典雅さを増すため、わざわざ俳優について、「物言ふ術」又は「朗誦術」を学ぶくらゐである。従つてさういふ研究も専門家の手でし尽くされ、様様有効なメトオドも発表されてゐる。
 例へばS又はCHの発音を完全にするために行ふ「発音体操の課題」(竹屋が竹立てかけた式ではあるが)
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〔Voici six chasseurs se se'chant, sachant chasser sans chien.〕
(ヴアスィー スィー シャスウル ス セシャン サシャン シャッセ サン シヤン)
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意味を云ふと、「犬を使はずに猟の出来る猟師が六人火でからだを乾かしてゐる」

「物言ふ術」の心得第何条かにかういふ文句がある。(サンソンの『演技論』)
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――知つてるやうな風をするな。考へるやうな風をせよ。
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 なかなか面白い注意である。

 ブレモンはその著『物言ふ術と演劇』に於て、ある一句の「言ひ方」がどれほど「言葉の裏」を変化させるかについて一例を上げてゐる。即ち 〔Ah! vous voila` monsieur.〕(意訳をすると「ああ、あなたですか」)
 この一句は次のやうな
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