かして復讐したい」傾きのあることである。この点で、日本の新劇俳優諸君は、当分、誰からも軽蔑される心配はない。
今日、仏蘭西の俳優は、勲章も貰へば、――珍しくもなからうが(なかなかどうして)――元老院議員の晩餐会にも招かれる。――日本だって[#「だって」はママ]何とか公爵が招待したといふんでせう。違ひますよ、それは、招待のしかたが。わかるでせう。――君、もつと飲み給へ。――へえ、もう結構で。――これや、招待ぢやない。
ルュシヤン・ギイトリイなんていふ役者はなかなか威張つてるやうですね。その辺の流行作家連を小僧扱ひにして、文部大臣なんか屁とも思はず、ブウルジェやアナトオル・フランスの劇作は、殆ど自分が骨組をこしらへてやつたやうなものなのを、それが当つて、表向きの作者が鼻をうごめかしてゐると、それを見て、にやり[#「にやり」に傍点]と笑つて、「おい、サシヤ公(これは伜の名です)てめえ、一体、いくつになるんだい」てなことを嘯いてゐるんですからね。
仏蘭西といつても、巴里のことしか識らないが、巴里にある劇場といへる劇場五十あまりは、それぞれ若干専属俳優を有し、そのうち、国立劇場四つと、前衛(先駆)劇場二三を除いては、多くは何れも、毎興行一、二人の所謂「ヴデット」を招聘する制度になつてゐる。
此の「ヴデット」といふやつ、甚だ怪《け》しからんもので、俳優に支払ふ給料の大部分を一人でせしめてしまふのである。
「ヴデット」とは、云はゞ、立役者で、看板役者で、花形で、之あつて、お芝居がお芝居になり、客足がつき、作者が泣き笑ひをし、幕が何度も上つたり下りたりするのである。
此の「ヴデット」の中に、なかなか名優がゐるから仕方がない。アカデミシヤンの中に稀代の天才が紛れ込み、代議士のなかに相当話せる人物が混つてゐたりするやうに。
それでも、一晩に一萬五千法(二千五百円)取るのは少しひどい。一晩千法のきめで、その外、全収入の一割といふのは珍らしくない。
俳優組合の規定では、一季節間の契約なら、一ヶ月最低給料六百五十法、一興業期間なら、一晩三十法といふことになつてゐる。但し「ユチリテ」と呼ばれる役、まあ端役だ――「奥さま、御食事の用意が出来ました」と云つて引込むやうな役――これは一晩十五法(二円五十銭)。
かういふ連中は、生活費が、少くとも収入の倍はかゝる。――少くとも「か
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