、悲壮喜劇『シラノ・ド・ベルジュラック』の奔放自由な浪漫的舞台に眼と魂とを奪はれたのである。
所謂自然主義も、所謂象徴主義も、その本質に於て生命ある演劇の要素となり得ないといふ事実は、たまたまロスタンの戯曲に含まれる戯曲的魅力を、彼の有する浪漫主義と結びつけさせる十分の理由となつた。
彼が好んで選ぶ処の歴史的乃至夢幻的主題は、雄大にして而も破綻を示さない結構《コンポジション》と、典雅にして機智に富む文体と相俟つて、殆ど常に統一と調和の美を示しつゝ、華やかに哀れ深き劇的感動を惹き起す。
彼は云ふ。「リリスムによつて、感激を与へ、美しさによつて、道義心を高め、魅力によつて、心を慰める演劇があつてもいい。詩人は企まずして霊の教訓を与へなければならない」と。
彼の戯曲が、その真価と並行して一代の成功を贏ち得た所以は、実に疲れ、倦み、悶えつゝある時代の人心に、一つの鞭撻と、慰藉と、歓喜の空想を与へ得たことである。正視するに忍びない人生の暗黒面から、眼を希望と夢の世界に転じさせたことである。
殊に、彼の傑作たる『シラノ・ド・ベルジュラック』は同時に一時代を劃する作品として、特別の注意を払ふ価値がある。
ロスタンは、此の一篇によつて、彼の芸術的天分を遺憾なく発揮したのみならず、前に述べた如く、時代人の芸術的欲求並びに国民的憧憬を十分に満足せしめた。これは、芸術上理想主義の勝利を物語り、一方演劇に対する民衆の浪漫的趣味を証するものであると云へよう。殊に彼の理想主義は人生の真理に即する古典的理想主義であり、その人物はそれぞれ特色ある「性格」によつて対立し、劇の推移は、作者の詩人的感受性によつて必然的に整理されてゐる。彼の浪漫主義は決して単なる感傷と誇張に終始してゐない。彼は千八百三十年代の浪漫主義に、千六百四十年代の浪漫主義を結びつけてゐる。ユウゴオの浪漫主義に、スカロンの道化味《ビュルレスク》とコルネイユの英雄主義《エロイスム》とを結びつけてゐる。そこから仏蘭西人の伝統的な生活の色彩が反映する。勇壮にして傷み易き心、快活恬淡にして而も世を拗ね人を嘲る性格、才気と詩想に富みながら稀代の醜貌と「岬」の如き鼻――これが銃士《ムスクテエル》シラノ・ド・ベルジュラックの全幅である。(春陽堂版辰野鈴木両君訳『シラノ・ド・ベルジュラック』参照)。
ロスタンはなほ劇詩『シャントクレエル』を残して早逝したが、その模倣者らは遂に「明日の演劇」を指向する力を恵まれてゐなかつた。
此の間に、黙々として、極めてつゝましき小喜劇『人参色の毛』を書き上げ、「これで、芝居になつてゐるだらうか」とアントワアヌをその事務室に訪れた中年の作家がある。それはゴンクウル、ドオデなどを友とする、時の名小説家ジュウル・ルナアルであつた。
此の傑作は、可なりの注目を惹いた。が、誰も大きな声をして叫ばなかつた。
『人参色の毛』は、他の二作『別れも愉し』『日々の麺麭』の上演後、はじめて舞台にかけられた。彼はなほ、『ヴェルネ氏』『田舎の一週間』『偏屈な女』の諸作を残して劇作家としての仕事を終つてゐる。
彼の劇作だけを通して、芸術家としての彼を知り尽すことはできないかも知れない。
彼は、聡明な厭世家である。そして、沈黙の詩人である。その写実的手法は、古典的の単素さと、主智的浪漫主義の洒脱さとでほどよく着色され、簡潔な暗示によつて、繊細な心理的|陰影《ニュアンス》を捉へながら、自然に流露する微笑ましい機智を透して、しめやかな詩的感動を与へるのである。
彼の対話には特殊な韻律がある。その韻律は、戯曲の本質としてユニックな魅力を具へてゐるのみならず、含蓄と余韻に富む言葉言葉は、現実のイメージを無限に拡大して、幽玄なリリスムの香りを伝へ、語らざる人生の相を凝視する作者の眼から、その禁慾主義的な吐息の陰に、深く沈んだ光を投げかけさせてゐる。(春陽堂版拙訳『別れも愉し』『日々の麺麭』とその序参照)
ルナアルの歿後十五年、今日の若き劇作家、その多くは一度、此の寡黙な先輩に耳を傾けたやうに思はれる。
彼の声は、殆ど聴き取り難いまでに低い。しかし、彼の静かに視開かれた眼は、遥かに何ものかを見定めてゐることがわかる。
此の時代に輩出した一群の劇作家中、今日までその名声を保ち続け、現代仏国劇壇の中堅作家――或は大家の列に加へられてゐるものは可なり多い。
パリジャニスムとは即ち巴里人気質である。サロンとキャバレ(酒場)の空気である。機智と感傷と、気まぐれと婉曲さとは、雑誌『巴里生活』の主調である。
所謂自然主義運動に走らず、所謂象徴主義の迷路に踏み入る勇気を持ち合せない一種の芸術的ボヘミヤンは、当時巴里の中心に発生しつゝあつた「芸術的酒場」(キャバレ・アルチスチック)の一に集つて、盛んに芸術を論じ、杯を傾け、盛んに唄ひ盛んに感激した。その集団の一つに文学者、美術家、音楽家よりなる「影絵の会」があり、彼等はこれを「黒猫座」と命名したのである。
此の黒猫座と雑誌『巴里生活』の合体から生れた一つの芸術上乃至生活上の虚無主義、楽天的虚無主義、これが文学の方面に於て次第に趣味的の洗煉を経、極めて都会的な、通人的な内容と表現様式を生み出し、そこから、戯曲の方では二十世紀初葉より今日まで、兎も角も世俗的勢力を保持しつゝある世相喜劇の、屈託なき、時としては安価な人生観を作り出すのである。
劇作家としてのモオリス・ドネエは『情人』一篇によつて早くもパリジャニスムを代表する作家となつた。彼の才気はその美貌と相俟つて、巴里社交界の人気を一身に集めてゐると云へば足りる。
『プリオラ侯爵』『決闘』等の作者、アンリ・ラヴダンは、ドネエほどのすつきりした才気はないが、一種の「道楽者」を描くに非凡な筆を持つてゐる。たまたま社会問題に触れても、「お芝居」の面白さ以上のものを与へ得ない。
が、此の二作家は、単独に批評される場合には、もう少し褒められてもいゝ作家であらう。
ジャン・リシュパンは、比較的早く世に出で、而も『無頼漢の群』を公にするまで、単なる「韻文劇の継続者」と見做されてゐた。此の代表作を以て、彼は始めて、近代生活の詩的表現に成功したが、そこには、心理的興味も思想的魅力もなく、たゞ、美しき詩句に彩られた絵画的場面があるばかりである。
新浪漫派人情劇の作者として、一時、ブウルジュワ階級の甘美趣味に投じたアンリ・バタイユは『ママン・コリブリ』の一作を以て、当時世論を沸かしつゝあつた自由恋愛の悲劇的顛末を物語らうとした。
彼は前に云つた如く、飽くまでも人情劇作家である。客間の心理解剖家であると同時に寝室の詩人である。ポルト・リシュの鋭利さはないが、その観察には常に「青春の焔」が燃えてゐる。そして「恋の闇路を踏み迷ふ……」と云つた調子の狂乱の場や、「散り失せしこそ哀れなれ」式の愁嘆場を通じて、勿論、これほどまでゝはないが、可なりの通俗味がある。然し面白い。彼は凡庸作家ではない。それどころか、稀に見る劇的才能の所有者である。
彼は、その他『結婚の曲』『裸体の女』『狂へる処女』などを残して早く世を去つた。
「動き」と「力」一点張りの悲劇作者アンリ・ベルンスタインはバタイユと対立して、ブウルヴァアルの舞台に活動してゐた人気作者である。猶太人特有の粘り強さが劇の構成に不可思議な牽引力を与へ、詩と感興《ファンテジイ》とを離れて、急転する事件そのものゝ渦中に観客の魂を引き摺り込む。ヂレンマよりヂレンマへ、彼の戯曲は忠実な獄吏の如く、一時も心の声に耳を傾けない。そこに運命の暗示がある。希臘悲劇の美が潜んでゐると云へば云へよう。『突風』『盗人』『イスラエル』等の外、彼は最近、『氷宮』なる象徴的作品によつて新方面を開拓したと伝へられる。
写実主義の手堅さに一脈の情味を湛へて、バルザック流の人物描写に成功したオクタアヴ・ミルボオは、『事業は事業』の一作によつて劇作家としての名を成した。
劇評家として独自の地歩を占め、印象批評の輝やかしき筆を揮ひつゝあつたジュウル・ルメエトルは、『女弟子』『赦免』等の心理喜劇に、繊細な観察と潤ひある機智を盛り、「劇作にかけても人後に落ちない」器量を示したが、「あまりに洗練された趣味」が災ひをなして、「力」ある作品を創造することができなかった。
まだ名を挙げられる作家は相当にあるが、この時代を代表するものとしては、先づこれくらゐにして置かう。たゞヴォードヴィルではあるが、『自由の重荷』『村で一人の盗賊』『英語を話せばこれくらゐ』などのユウモアに富む作品によつて、殊にその小説の極めて洒脱滑稽なる諷刺によつて、現代仏国文壇に於ける特殊な地位を占めてゐるトリスタン・ベルナアルの名を附け加へてもよからう。
三、一九一〇年前後
一九〇六年にポオル・クロオデルの『正午の分配』が発表せられ、同一〇年にはサン・ジョルジュ・ド・ブウエリエの『子供の謝肉祭』が上演され、一三年にはジュウル・ロマンの『都市占領軍』が舞台にかけられた。
此の期間に於て、仏国劇の先駆的傾向は、正に著しい特色を示すに至つた。
勿論、劇壇の本流は、なほ写実的心理劇の注目すべき作品を生みつゝあつた。たゞ当時の新進作家らは、多く、分析より綜合へ、客観より主観へ、局部より全体へ、外部から内部へ、故意より無意識へと表現の対象を求め、「物語る」かはりに、「指し示す」こと、「暴露する」かはりに、「感じさせる」ことを、最も好ましき表現手段として選ぶやうになつた。
ポオル・クロオデルは、必ずしも、此の傾向を代表する作家ではない。彼は何よりも宗教的詩人である。彼の作品には「諷刺的神秘劇」の名が冠せられると同時に、また「象徴的社会劇」の名でこれを呼ぶことも許されるであらう。彼の魂は、加特力的信仰から生れる特殊的な理想に燃え、その体験には常人の窺ひうることが出来ない半面があるやうに思はれるが、最も傑れた詩人に賦与される調和と生気に満ちた想像力が、企まずして香り高き文体と相俟つて彼の作品に「偉大なる真理の閃き」を与へてゐる。
反ブウルジュワジイの思想、正義と寛大の信念が、その作の根柢を成してゐるところに、社会劇的の主張が潜んでゐるにはゐるが、その人物の飽くまでも「人間らしき生き方」に於て、彼の戯曲は、驚くべき熱と力とを感じさせる。
彼の劇作は、舞台的には、未だ満足な成功を示してはゐないが、彼が劇作家として本質的な天分を持つてゐることを疑ひ得ない以上、その作品の完全な演出は、未来の俳優を以てする未来の舞台を俟つより外はあるまい。彼は、今日まで既に前掲『正午の分配』の外、『マリイへの御告』『固き麺麭』『人質』等の名作を発表してゐる。『人質』の如きは、一九一三年オデオン座で上演された時、一般観衆にさへ大きな感動を与へ、連日満員の盛況を呈し、批評家をして意外の眼を見張らしめたと伝へられる。が、クロオデルは、自作の上演が、如何なる結果を生むかを知つてゐる。『正午の分配』は、まだ何処の舞台でも公演を許可しないことにしてゐる。
クロオデルが、或る意味に於て、「明日の戯曲」を導く作家であるとすれば、エドモン・セエは、この時代に於ける最も聡明にして魅力に富む仏蘭西劇伝統の継承者であらう。
エドモン・セエには、ポルト・リシュ程の鋭さはないが、ルメエトルの繊細さがあり、加ふるにルナアルの確かさがある。
彼は『羊』『麺麭のかけら』『若き日の友』等を発表して、近代人の心理を描くことに成功した。そして、その自然主義的手法は、洗練された趣味と気品に富む文体によつて、古典的な完成味を示した。殊に、その傑作たる性格喜劇『うつけ者』に於て、最も自由にその才能を発揮した。彼は、早くも劇作の筆を絶つて、専ら劇評に力を注いだが、最近また『秘密を託された女』を発表し、作家としての復活を企図した。然し、そこには、もう昔日の魅力を偲ばせる何ものもないやうである。
一九一〇年、第三次美術座を起して、舞台装飾に新機軸を示さうとしたルウシェは、先づサン・ジョルジ
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