を、まざまざと観客の心に投映する。
彼は冷やかな弁証家であると同時に、優しい道徳家でもある。此の冷やかさによつて人を撃ち、この優しさによつて人を動かす、これが彼の戯曲の魅力と云へば云へよう。
時の右傾的批評家は声をそろへて彼の出現を謳歌した。自然主義末期の「卑猥劇」に眉を顰めつつあつた「真面目な観客」がこれに和した。(春陽堂版拙訳『炬火おくり』参照)
エルヴィユウは南米の領事などもした外交官である。
エルヴィユウの戯曲は、世評の高きに拘はらず、当時の文学的欲求を、殊に、「舞台の詩」を夢みつゝある一群の観客を満足せしめることはできなかつた。
一八九七年『炬火おくり』に先んずること四年、ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』が、ポルト・サン・マルタン座の舞台で、観客の熱狂的歓声裡に、空前絶後の成功を収めたことを忘れてはならない。
象徴劇の前途は、暗澹としてゐた。
パリジャニスムを背景とする軽浮な世相喜劇は、将来、二三の才能ある作家によつて、やうやく芸術的存在となり得るのであるが、一方エルヴィユウの、動もすれば道学者的な固苦しさに、何んでもいゝ、一つの息抜きを求めてゐた時代は
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