昏より二十世紀の払暁にかけて、仏国劇壇は将に一大転機を示さうとした。
然しながら、ロスタンと云ひエルヴィユウと云ひ、実は単なる彗星的作家に過ぎなかつた。
一八九五年(自由劇場没落の翌年)『鋏《やつとこ》』を発表して、「問題劇」の復活を前提し、次で『炬火おくり』の舞台的成功によつて忽ち大劇作家の名を擅にしたエルヴィユウは、云ふまでもなくデュマ・フィスの思想的後継者であり、写実的手法より理想主義的傾向への飛躍に於て、やゝ古典悲劇作家の面影を伝へるものと云ひ得よう。
彼の取扱ふ主題は常に「或る問題の解決」である。彼の描く人物は常に「或る原則の傀儡」である。その人物の性格は飽くまでも類型的で、事件の推移は余りに機械的である。彼は法律の欠陥、道徳の矛盾、因襲の誤り、制度の不合理、人情の破綻を攻撃指摘するために、一切の要件を具備した人物と、その関係と、順序正しき事件とを想像する。舞台の上には「生命の連鎖」が無い代りに「論理の脅威」による絶え間なき感動がある。
対話は極めてぎごちない文語体で、含蓄に乏しく、しかしながら時に、単素にして厳粛な場面のトーンを作り出すことによつて、人生の瞬間的危機
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