、悲壮喜劇『シラノ・ド・ベルジュラック』の奔放自由な浪漫的舞台に眼と魂とを奪はれたのである。
 所謂自然主義も、所謂象徴主義も、その本質に於て生命ある演劇の要素となり得ないといふ事実は、たまたまロスタンの戯曲に含まれる戯曲的魅力を、彼の有する浪漫主義と結びつけさせる十分の理由となつた。
 彼が好んで選ぶ処の歴史的乃至夢幻的主題は、雄大にして而も破綻を示さない結構《コンポジション》と、典雅にして機智に富む文体と相俟つて、殆ど常に統一と調和の美を示しつゝ、華やかに哀れ深き劇的感動を惹き起す。
 彼は云ふ。「リリスムによつて、感激を与へ、美しさによつて、道義心を高め、魅力によつて、心を慰める演劇があつてもいい。詩人は企まずして霊の教訓を与へなければならない」と。
 彼の戯曲が、その真価と並行して一代の成功を贏ち得た所以は、実に疲れ、倦み、悶えつゝある時代の人心に、一つの鞭撻と、慰藉と、歓喜の空想を与へ得たことである。正視するに忍びない人生の暗黒面から、眼を希望と夢の世界に転じさせたことである。
 殊に、彼の傑作たる『シラノ・ド・ベルジュラック』は同時に一時代を劃する作品として、特別の注意を払
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