驚嘆すべきファンテジストである。然し、そのファンテジイは、ミュッセの戯曲に盛られてあるそれらの如く、劇的本質と結びついてゐない憾みがある。言ひ換へれば、作者自身の感興が、作中の人物を完全に実在化させることを妨げてゐるやうに思はれる。
 これはキュレルが、思想家としての偉大さに反して、劇作家としては、屡々好意ある批評家を悩ます原因を作り出すのである。たゞ彼が、たまたま純然たる思索の夢より醒めて、その描かうとする抽象の人物に、心理解剖家としての鋭い体験の所産を盛る時、彼の戯曲には、めまぐるしい生命の躍動を見るのである。彼が最も優れた劇作家であり得るのはこの場合だけである。
 アントワアヌは、彼の処女作『身投げをして救はれた男』を読んで、感激の余り「傑作現はれたり」と叫びつゝ室内を歩き廻つたといふ事実から推しても、彼の作品が如何に時流を擢んでゝゐたかを知り得ると思ふが、三十年後の今日、なほ、仏蘭西劇壇の有する大劇作家として、彼の芸術が暗示する未来の路は、常に一道の光明によつて照らされてゐる。
 同じく自由劇場に於てその処女作『フランスワアズの運』を上演しながら、自由劇場とその運命を倶にしない
前へ 次へ
全37ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング