オデル流の象徴的社会劇を試み、光輝ある未来を期待させ、大戦後『闘士社』『ラポアントとロピトオ』の二作を発表したが、予期の進境を示さないのみか、却つて前二作、殊にその小説に見るが如き思想の清澄さを欠き、僅かに天才的感性がその片影を留めてゐるに過ぎない。
かゝる時、直接イプセンの影響を受けた「論議する芝居」の輝やかしい幕が、マリイ・ルネルウなる一女性作家の手によつて閉ぢられたことを特筆しなければならない。『解放されたもの』はブリュウの社会劇を足下に見下してゐる。
欧洲大戦直前の仏国劇壇は、前に述べた如く、兎も角も、或る方向に大きく動いて行くやうに思へた。然し、如何なる時代に於ても「新しきもの」が生れ出ようとする時には、常に大きな障碍が控へてゐる。それは既成の地盤である。
第二の自由劇場、第二のアントワアヌが現はれて来なければならない。
『仏蘭西新評論』社同人中に、演劇学者として、また評論家として、当時さゝやかな存在を認められてゐたジャック・コポオが、同人等の後援を得て、ヴィユウ・コロンビエ座を創立したのが一九一四年である。演劇の本質は、古来の劇的天才が、その不朽の作品中に遺憾なくこれ
前へ
次へ
全37ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング