ル』を残して早逝したが、その模倣者らは遂に「明日の演劇」を指向する力を恵まれてゐなかつた。
 此の間に、黙々として、極めてつゝましき小喜劇『人参色の毛』を書き上げ、「これで、芝居になつてゐるだらうか」とアントワアヌをその事務室に訪れた中年の作家がある。それはゴンクウル、ドオデなどを友とする、時の名小説家ジュウル・ルナアルであつた。
 此の傑作は、可なりの注目を惹いた。が、誰も大きな声をして叫ばなかつた。
『人参色の毛』は、他の二作『別れも愉し』『日々の麺麭』の上演後、はじめて舞台にかけられた。彼はなほ、『ヴェルネ氏』『田舎の一週間』『偏屈な女』の諸作を残して劇作家としての仕事を終つてゐる。
 彼の劇作だけを通して、芸術家としての彼を知り尽すことはできないかも知れない。
 彼は、聡明な厭世家である。そして、沈黙の詩人である。その写実的手法は、古典的の単素さと、主智的浪漫主義の洒脱さとでほどよく着色され、簡潔な暗示によつて、繊細な心理的|陰影《ニュアンス》を捉へながら、自然に流露する微笑ましい機智を透して、しめやかな詩的感動を与へるのである。
 彼の対話には特殊な韻律がある。その韻律は、戯曲の本質としてユニックな魅力を具へてゐるのみならず、含蓄と余韻に富む言葉言葉は、現実のイメージを無限に拡大して、幽玄なリリスムの香りを伝へ、語らざる人生の相を凝視する作者の眼から、その禁慾主義的な吐息の陰に、深く沈んだ光を投げかけさせてゐる。(春陽堂版拙訳『別れも愉し』『日々の麺麭』とその序参照)
 ルナアルの歿後十五年、今日の若き劇作家、その多くは一度、此の寡黙な先輩に耳を傾けたやうに思はれる。
 彼の声は、殆ど聴き取り難いまでに低い。しかし、彼の静かに視開かれた眼は、遥かに何ものかを見定めてゐることがわかる。
 此の時代に輩出した一群の劇作家中、今日までその名声を保ち続け、現代仏国劇壇の中堅作家――或は大家の列に加へられてゐるものは可なり多い。
 パリジャニスムとは即ち巴里人気質である。サロンとキャバレ(酒場)の空気である。機智と感傷と、気まぐれと婉曲さとは、雑誌『巴里生活』の主調である。
 所謂自然主義運動に走らず、所謂象徴主義の迷路に踏み入る勇気を持ち合せない一種の芸術的ボヘミヤンは、当時巴里の中心に発生しつゝあつた「芸術的酒場」(キャバレ・アルチスチック)の一に集つて、盛んに芸術を論じ、杯を傾け、盛んに唄ひ盛んに感激した。その集団の一つに文学者、美術家、音楽家よりなる「影絵の会」があり、彼等はこれを「黒猫座」と命名したのである。
 此の黒猫座と雑誌『巴里生活』の合体から生れた一つの芸術上乃至生活上の虚無主義、楽天的虚無主義、これが文学の方面に於て次第に趣味的の洗煉を経、極めて都会的な、通人的な内容と表現様式を生み出し、そこから、戯曲の方では二十世紀初葉より今日まで、兎も角も世俗的勢力を保持しつゝある世相喜劇の、屈託なき、時としては安価な人生観を作り出すのである。
 劇作家としてのモオリス・ドネエは『情人』一篇によつて早くもパリジャニスムを代表する作家となつた。彼の才気はその美貌と相俟つて、巴里社交界の人気を一身に集めてゐると云へば足りる。
『プリオラ侯爵』『決闘』等の作者、アンリ・ラヴダンは、ドネエほどのすつきりした才気はないが、一種の「道楽者」を描くに非凡な筆を持つてゐる。たまたま社会問題に触れても、「お芝居」の面白さ以上のものを与へ得ない。
 が、此の二作家は、単独に批評される場合には、もう少し褒められてもいゝ作家であらう。
 ジャン・リシュパンは、比較的早く世に出で、而も『無頼漢の群』を公にするまで、単なる「韻文劇の継続者」と見做されてゐた。此の代表作を以て、彼は始めて、近代生活の詩的表現に成功したが、そこには、心理的興味も思想的魅力もなく、たゞ、美しき詩句に彩られた絵画的場面があるばかりである。
 新浪漫派人情劇の作者として、一時、ブウルジュワ階級の甘美趣味に投じたアンリ・バタイユは『ママン・コリブリ』の一作を以て、当時世論を沸かしつゝあつた自由恋愛の悲劇的顛末を物語らうとした。
 彼は前に云つた如く、飽くまでも人情劇作家である。客間の心理解剖家であると同時に寝室の詩人である。ポルト・リシュの鋭利さはないが、その観察には常に「青春の焔」が燃えてゐる。そして「恋の闇路を踏み迷ふ……」と云つた調子の狂乱の場や、「散り失せしこそ哀れなれ」式の愁嘆場を通じて、勿論、これほどまでゝはないが、可なりの通俗味がある。然し面白い。彼は凡庸作家ではない。それどころか、稀に見る劇的才能の所有者である。
 彼は、その他『結婚の曲』『裸体の女』『狂へる処女』などを残して早く世を去つた。
「動き」と「力」一点張りの悲劇作者アンリ・ベルンスタインはバタイユ
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