昏より二十世紀の払暁にかけて、仏国劇壇は将に一大転機を示さうとした。
 然しながら、ロスタンと云ひエルヴィユウと云ひ、実は単なる彗星的作家に過ぎなかつた。
 一八九五年(自由劇場没落の翌年)『鋏《やつとこ》』を発表して、「問題劇」の復活を前提し、次で『炬火おくり』の舞台的成功によつて忽ち大劇作家の名を擅にしたエルヴィユウは、云ふまでもなくデュマ・フィスの思想的後継者であり、写実的手法より理想主義的傾向への飛躍に於て、やゝ古典悲劇作家の面影を伝へるものと云ひ得よう。
 彼の取扱ふ主題は常に「或る問題の解決」である。彼の描く人物は常に「或る原則の傀儡」である。その人物の性格は飽くまでも類型的で、事件の推移は余りに機械的である。彼は法律の欠陥、道徳の矛盾、因襲の誤り、制度の不合理、人情の破綻を攻撃指摘するために、一切の要件を具備した人物と、その関係と、順序正しき事件とを想像する。舞台の上には「生命の連鎖」が無い代りに「論理の脅威」による絶え間なき感動がある。
 対話は極めてぎごちない文語体で、含蓄に乏しく、しかしながら時に、単素にして厳粛な場面のトーンを作り出すことによつて、人生の瞬間的危機を、まざまざと観客の心に投映する。
 彼は冷やかな弁証家であると同時に、優しい道徳家でもある。此の冷やかさによつて人を撃ち、この優しさによつて人を動かす、これが彼の戯曲の魅力と云へば云へよう。
 時の右傾的批評家は声をそろへて彼の出現を謳歌した。自然主義末期の「卑猥劇」に眉を顰めつつあつた「真面目な観客」がこれに和した。(春陽堂版拙訳『炬火おくり』参照)
 エルヴィユウは南米の領事などもした外交官である。
 エルヴィユウの戯曲は、世評の高きに拘はらず、当時の文学的欲求を、殊に、「舞台の詩」を夢みつゝある一群の観客を満足せしめることはできなかつた。
 一八九七年『炬火おくり』に先んずること四年、ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』が、ポルト・サン・マルタン座の舞台で、観客の熱狂的歓声裡に、空前絶後の成功を収めたことを忘れてはならない。
 象徴劇の前途は、暗澹としてゐた。
 パリジャニスムを背景とする軽浮な世相喜劇は、将来、二三の才能ある作家によつて、やうやく芸術的存在となり得るのであるが、一方エルヴィユウの、動もすれば道学者的な固苦しさに、何んでもいゝ、一つの息抜きを求めてゐた時代は、悲壮喜劇『シラノ・ド・ベルジュラック』の奔放自由な浪漫的舞台に眼と魂とを奪はれたのである。
 所謂自然主義も、所謂象徴主義も、その本質に於て生命ある演劇の要素となり得ないといふ事実は、たまたまロスタンの戯曲に含まれる戯曲的魅力を、彼の有する浪漫主義と結びつけさせる十分の理由となつた。
 彼が好んで選ぶ処の歴史的乃至夢幻的主題は、雄大にして而も破綻を示さない結構《コンポジション》と、典雅にして機智に富む文体と相俟つて、殆ど常に統一と調和の美を示しつゝ、華やかに哀れ深き劇的感動を惹き起す。
 彼は云ふ。「リリスムによつて、感激を与へ、美しさによつて、道義心を高め、魅力によつて、心を慰める演劇があつてもいい。詩人は企まずして霊の教訓を与へなければならない」と。
 彼の戯曲が、その真価と並行して一代の成功を贏ち得た所以は、実に疲れ、倦み、悶えつゝある時代の人心に、一つの鞭撻と、慰藉と、歓喜の空想を与へ得たことである。正視するに忍びない人生の暗黒面から、眼を希望と夢の世界に転じさせたことである。
 殊に、彼の傑作たる『シラノ・ド・ベルジュラック』は同時に一時代を劃する作品として、特別の注意を払ふ価値がある。
 ロスタンは、此の一篇によつて、彼の芸術的天分を遺憾なく発揮したのみならず、前に述べた如く、時代人の芸術的欲求並びに国民的憧憬を十分に満足せしめた。これは、芸術上理想主義の勝利を物語り、一方演劇に対する民衆の浪漫的趣味を証するものであると云へよう。殊に彼の理想主義は人生の真理に即する古典的理想主義であり、その人物はそれぞれ特色ある「性格」によつて対立し、劇の推移は、作者の詩人的感受性によつて必然的に整理されてゐる。彼の浪漫主義は決して単なる感傷と誇張に終始してゐない。彼は千八百三十年代の浪漫主義に、千六百四十年代の浪漫主義を結びつけてゐる。ユウゴオの浪漫主義に、スカロンの道化味《ビュルレスク》とコルネイユの英雄主義《エロイスム》とを結びつけてゐる。そこから仏蘭西人の伝統的な生活の色彩が反映する。勇壮にして傷み易き心、快活恬淡にして而も世を拗ね人を嘲る性格、才気と詩想に富みながら稀代の醜貌と「岬」の如き鼻――これが銃士《ムスクテエル》シラノ・ド・ベルジュラックの全幅である。(春陽堂版辰野鈴木両君訳『シラノ・ド・ベルジュラック』参照)。
 ロスタンはなほ劇詩『シャントクレエ
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