劇場を脱退して、自作『ハムレットの結婚』をオデオン座で上演した。間もなく『予のために予は余りに偉大なり』は、コメディー・フランセエズの舞台にかけられ、新進作家として稀有の待遇を受けた。一作ごとに露はになりつゝある作者の驕慢な主観が、芸術家としての、彼の前途を気遣はせはするが、それが若し、若き天才の自己陶酔であるとすれば、むしろ、将来の成熟を刮目して待つべきであらう。
ヴィユウ・コロンビエ座は、戦後事業の基礎を確立して、着々、理想の実現に向つて進んだが、その間に、幾人かの新作家を紹介した。そのうちで、特に注目すべきはシャルル・ヴィルドラックであらう。彼は中年を越えた詩人である。そして、その劇作は、最も正しき意味に於ける自然主義的作品である。『郵船テナシチイ号』『巡礼』『欠けた人間』『ミシェル・オークレエル』これらの作を通じて見たるヴィルドラックは、その厳密な写実的手法を裏附けるに、かの詩人のみが善く為し得るところの「魂の直感」を以てした。かすかにその片鱗を見せてゐる左傾的な批評精神は、つゝましい愛によつて潤ひ、何人の心をも和げずには措かない。彼は、最も真面目な意味に於ける最も真面目な作家である。その真面目さは、「学校に行くことの好きな模範学生」のそれではなく、「学校に行くことは嫌ひであるが、学校から帰つて来て母親の笑顔を見るのがうれしくてたまらない小学生」の真面目さであると、或る批評家は云つてゐる。彼は写実主義が生んだ唯一の理想主義者であり、その作品は、自然主義の筆を以て描かれた人生の最初の「美しき半面」であらう。
同じくヴィユウ・コロンビエ座で二三の作品を上演し、辛辣な喜劇作者として名を知られるに至つたルネ・バンジャマンは徹頭徹尾、容赦なき皮肉と端倪すべからざるファンテジイの両刀使ひである。その機智には「うま味」がない代りに「ひがらさ」がある。『片眼の鵲』が傑作であらう。
大戦後、ヴィユウ・コロンビエ座の復活に次いで、巴里には新劇団が続出した。デュランの率ゐるアトリエ座、バチイの率ゐるラ・シメエル座、此の二つはピトエフ一座と共に、戦後の巴里を彩る先駆劇団の代表的なものである。
デュランはヴィユウ・コロンビエ座にゐたことのある俳優である。コポオが、動もすれば、仏蘭西趣味に執し過ぎるに反し、デュランは却つて伊太利、殊に西班牙的色彩に傾かうとしてゐる。カルデロン、
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