まぐるしい新旧の交錯である。思索と空想、解剖と暗示、ファンテジイとリリスム、苦悶の告白と理智の裁断、そこにはシェクスピイヤとミュッセとマアテルランクとドストイエフスキイとベルグソンとが入り乱れ、融け合つてゐる。
 彼の取扱ふ主題は、前に述べた如く、主として潜在意識の問題である。「第二の魂の盲動」である。時にはアインシュタインの「相対性原理」が基礎となり、時にはフロイドの「精神分析」が根柢となつてゐる。
 但し彼は多くの場合、その作中の人物を単に思想の傀儡にして了はない手腕を有つてゐる。それどころか、彼の芸術の力強さは、寧ろそれぞれの人物が、考へる以上に感じてゐることである。思想劇の到達すべき頂点であらう。(春陽堂版拙訳ルノルマン作『時は夢なり』及び『落伍者の群』参照)
 フェルナン・クロムランクの名は、制作劇場が始めて『堂々と妻を寝取られる男』を上演して以来、頓に戦後の劇壇を賑はせた。
 此のファルスは、恐らく、現代仏蘭西が生んだ最も独創と魅力に富む作品の一つであらう。若く美しく、従順にして快活な妻、傲慢で粗野でお人好しの夫、此の二つの性格が、世にも稀なるシチュエーションを生み、大胆極まる事件の推移と、興味深き心理の回転が、嫉妬の焔を戯画化して抱腹絶倒の場面を現出するのである。しかも、作全体を流れる詩は、憂鬱にして神秘、フラマンの海と森とを包む、たそがれの唄である。
 彼は、その前に『面師』及び『初々しき恋人』の二作を発表してゐる。『初々しき恋人』は、ミュッセの浪漫主義とマアテルランクの神秘感とを織り交ぜたドラマであるが、その瞑想には、やゝ病的な主観が附き纏ひ、仏蘭西人の趣味には容れられないものがあるらしい。
『張子の王冠』及び『影を釣るもの』によつて、若く名を成したジャン・サルマンは、制作劇場の俳優として舞台に立つ傍ら、劇作の筆を執りはじめたのである。彼も亦、シェクスピイヤ、ミュッセ、マアテルランクの影響を多分に受けてゐる作家である。殊に、何よりも先づ浪漫主義者である彼は、近代青年の懐疑思想を、バイロンの詩に託さうとした。それはハムレットの捨白、ファンタジオの独白に似て、しかもなほ一層虚無的な心境の告白である。眼まぐるしき感情の飛躍と、未知の世界を凝視する静かな理智の閃きと、そこから、或る独特な心理的リズムを醸し出すところに彼の劇的天分がある。
 彼はその後、制作
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