ゐないだけである。
混雑する場所でみんなが先を争ふのを困つたものだと云ふ。しかし、よく見てゐると、なるほど先を争ひはするが、非常に消極的な争ひ方で、云はゞ、入口なら入口へ、君もはいれ、おれもはいる、といふやうな押し合ひへし合ひである。殆ど腕力に訴へるといふやうな激しい場面は生じない。黙々として、魚の如く、肩をすぼめて割り込んで行くだけである。時間があれば長蛇の列を作る習慣もそろそろついて来た。ところで、この長蛇の列でも、横から途中へもぐりこむのがゐても、それほど誰もやかましく云はない。電車の出札口などでは、左から順にと書いてあるのに、それを守つてゐる人間の眼の前へ、右からぬつとはいつて来て、いきなり手を出す。左側の先頭は、眉ひとつ動かさない。時には、慌てゝ、窓口へ出した金を一層奥へ押しやるぐらゐのものである。「馬鹿野郎、この字が読めないのか!」と啖呵を切るのを私は聞いたことがない。なんといふ穏やかな国民であらう。ところが、腹の中は煮えくりかへつてゐるんだといふことを、私は自分の経験で知つてゐる。法律や道徳で解決のつかぬものがある。序だから云ふが、かの浅間丸事件や斎藤事件で国民の示した
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