ぬふりをする者が多い。必ずしもずるいわけではあるまい。善行と見えることがそれほど辛いのだと云ふものがあれば、私は、苦笑をもつて、これを赦すであらう。席を譲つたばかりに、眼のやり場に困つてゐる若い人たちを私はいくどゝなく見かけた。もともと、こんな些細なことを業々しく道徳として教へたものゝ罪であり、また同時に、これを観念として注ぎこむことに急で、日常の作法として速かに風俗化することを等閑に附した弊である。
道ばたで子供が転んだのを起してやる。母親が駈けつけて来る。極めて自然な応酬が彼女との間に取交されることは稀れである。母親は、子供に気をとられすぎて、起してくれた男に言葉もかけず、去るがまゝに去らしめるのはまだいゝとして、逆に、子供の膝頭の血を拭きもせず、やたらにこの親切な男に頭をさげるなどはどうかしてゐる。殊に、怪我はなかつたかと案じる紳士の方はろくに見ないで、お礼をかねた小言を子供に浴せかける母親はざらにあるのである。どれもこれも、善良な母親に違ひないのである。一人一人、教養も性格も違ふであらう。しかし、そこに見られる共通な風俗的特徴は、どれもこれも、身についた感情の表現形式をもつて
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