室である。莚の代りに、純白のベットがあり、花瓶には花があり、水差には水があり、もうそれだけで、私は気持が爽かになるのを覚え、頭は急に軽くなり、熱は三十六度代に下つてゐた。
 香港に着く前には、甲板を大股に歩きながら、船底の熱病を忘れてゐた。
 処で、面白いことには、初めから一等を買へば全部で三十円なのを、厦門から一等に代つたゝめ、支那銀で二十両支払はなければならず、当時の為替相場で、日本貨四十円である。かういふ種類の損害は何時までも記憶を去らないものと見える。

 夜遅く巴里《ぱりー》の裏通を歩いてゐると、一種独特な臭気が、何処からともなく鼻をついて来る。それが多くは、冬または冬に近い季節の夜である。
 私は、いまだに、その臭気が何物の臭であるか、わからずにゐるのだが、それは多分煙草のヤニと、牛の血と、バタの腐つたのと、洗濯物と、それらの混合した臭ではないかと思つてゐる。一口に云へば、それが巴里のかの有名な下水の臭かもわからない。
 その臭も、日本に帰つてから可なり長く臭がないので、自然忘れてしまつたところ、近頃、ふとその臭を思ひ出したのである。思ひ出したといふよりも、その臭と同じ臭が
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング