とが極度にその生活を支配する趣味的ボヘミヤンの典型である。自ら帆走船を作り、フレムを工夫し、浴室を建て、マムシ酒を醸造し、家族の病気を診断し、手製の体温器を挟ませ、同じく手製のハカリを以て投薬し平然として快復を信じてゐる。種痘はペン先の古きを砥いで之を行ひ、注射の針は八回に及ぶも之を替へず、下痢止めには懐炉灰を飲ませ、細君のお産は三日目に床上げをさせるのである。
此のA氏は私が病院にはいつても、度々見舞に来てくれ、H博士に様々な医学上の建言をしてゐたやうである。
私は嘗て「奇妙な風邪」を引いたことがある。それは、台湾から香港《ほんこん》に渡る船の中である。当時の打狗《たかお》から香港まで、日本貨十円といふのが三等の賃金で、その代り、苦力《くりい》と同房の船底である。あんまりひどいと思つたが、我慢をすることにして、莚《むしろ》の上に寝ころんでゐると、その晩、忽ち悪寒を覚え咽喉がかわき体温を計ると四十一度ある。
船が厦門《あもい》に着く頃、とう/\一等に代る決心をした。ボーイの肩につかまつて、フラ/\と甲板を歩いて行く寝巻姿の私を、支那の苦力たちは笑ひながら見てゐた。
其処は一等船
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