とする。而《しか》もその文体に於て、言葉の調子に於て、場面の動きに於て、つまり全体の「命」と「閃き」に於て、両者に格段の差があるとする。それは翻訳者が如何に翻訳が巧みであるかといふ前に、如何に原作が解つてゐるかといふ問題になるのである。一節だけを示したのでは、絶対的の価値批評はできないが、試みに仏蘭西語で次の句が、幾通りの日本語になり得るかを考へてみるがいい。而も、それが実際の場合にはただ一つの訳し方しかない。
Tu as raison.
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お前の考へは正しい。
お前の言ふことは尤《もつと》もだ。
お前の云ふ通りさ。
お説御尤も。
それはさうだ。
それはさうだね。
それもさうだ。
さうだつたね。
いや、まつたくだ。
それを云ふのさ。
それや、さうさ。
さうともさ。
さう、その通り。
さうだとも。
さう、さう。
それ、それ。
それさ。
なるほどね。
なるほど、さうだつた。
そいつはいい。
うまいことを云ふぞ。
それがいいや。
それに限る。
それにしよう。
それもよからう。
さうしよう。
その方がいい。
さう云へば、さうだ。
ほんとにさうだ。
それや、まあ、さうさ。
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