間に、また在ることを発見して驚いた次第である。私はイプセン及びストリンドベリイの仏訳だけは、世界的に名訳と認められてゐることを知つたので、まあ、安心ができると思つた。殊にイプセンの翻訳者ブロゾオル伯は諾威《ノルウェイ》人ださうで、私はすつかりよろこんだ。そして、殆ど原作を読むやうな信頼と親しみとをもつて、一作一作と読んで行つた。邦訳では、それほどイプセンが詩人であるとは思はれなかつたが、こんどはまた、作品の思想の深刻味や、結構の手堅さなどよりも、時代時代に応じてイプセンが、それぞれの意味の優れた詩人であり、殊に、象徴的傾向が鮮やかになるにつれて、近代的な、含蓄の多い対話の、巧妙な駆使者であることを知るに至つた。それと同時に、邦訳を読んだ時には、あんまり気づかなかつたそれぞれの作品の「喜劇味」――思想的にも、また文体の上からも――さういふものを仏訳の中にまざまざと見出して、こいつは面白いぞと思つたのである。
更に自分の恥さらしをすれば、仏蘭西の戯曲ならば、原作が読めると思つて、いろいろ読み漁つたものを、これはここが面白い、あれはあそこが面白いと独りぎめをして悦んでゐた五六年前は、今から
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