、相手がわかるまで言ふ人である。――ルナアルは同じことを二度言ふのをうるさがる人である。半分だけ云つて、あとはわかつたらうと云ひ兼ねない人である。――芸術家としての武者小路氏は自然を矯めようとする人である。此の意味で理想主義者である。――ルナアルは「自然によらなければ書かない」人である。この意味で現実主義者である。――武者小路氏は「高遠な問題」に興味を有つ人である。――ルナアルは「機微な問題」に眼を向ける人である。――武者小路氏は、ものを大きく抱き込まうとする人である。――ルナアルは、ものゝ急所を掴まうとする人である。
 扨て武者小路氏は、ルナアルの「日々の麺麭」は、「頭から感心すべきものでない」と云はれる。――勿論、さうなければならぬ。若し、武者小路氏が、頭から之に感心されたら、折角の武者小路氏が武者小路氏でなくなるわけである。
 処で、その頭から感心すべからざる理由として、此の作に、享楽気分の多いこと、人生に触れ方の足らないことを挙げてをられる。
 享楽気分とはなんですか。何を享楽してゐるのですか。人生をですか、芸術をですか。――もつと厳粛であればいゝのですか。どう厳粛であればいゝ
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