来ると、自分ながら気恥かしくなる。
少しばかり外国の言葉をかぢつたがために、翻訳といふ仕事にありつき、偶然、西洋の芝居を見たがために、戯曲の翻訳に興味を覚え、自分でも脚本の真似事を書いて見る気になり、それを上演するについて日本の俳優の素質といふものを考へるやうになりなどして、たうとう芝居にかけてはひとかど苦労をしたやうな顔をしなければならなくなつた。
何としても現在の日本は実力のない「専門家」の跋扈する時代である。何かを一寸ばかり習つた人間が、すぐに、それを人に教へたがる時代である。おれはかういふことを知つてゐるぞと吹聴しさへすれば、それよりまだほかのことを知つてゐるやうに思はれる時代である――馬鹿げた時代もあつたものだ。
私は、何も、世間を胡魔化してゐるつもりはない。また私などに胡魔化される世間でもあるまいが、さういふ時代だけに自分のやつてゐることを省みて、屡々警戒の必要を感じるのである。
日本の芝居を少しでもよくするためなら、自分の労力ぐらゐ犠牲にしてもかまはない。いくらか不愉快なことも忍ばなければならない――といふ考へ方を、立派な考へ方だと思つてゐた。しかし、それはもつ
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