と偉大な人間にふさはしい考へ方だといふことがわかつた。どうもわれ/\は、自分たちの才能や、力量以上に「立派な考へ」をもたうとする傾向がある。「考へ倒れ」なんていふのは、あんまり気が利かないではないか。
 それよりも、自分の好きなこと、自分の性に合つたことを愉快にやつてゐて、それが「何かの役に立つ」ことをモデストマンにこひねがふことこそ、仕事らしい仕事なのではないか――といふ考へ方が、どうやら正しい考へ方のやうに思はれて来た。
 個人主義への逆戻りだと笑ふものがあつても、私は、せめて、「天分」の問題だけは、個人主義的解決にまかせたい。

 昨日新劇協会の初日は、例によつて、ひつそりとした初日だつた。
 あれほど評判になつた『人生の幸福』が今度再演されると聞いて、天下の好劇家は先を争つて観に来るだらうと思つてゐたのに、これはまた意外である。尤も、あと九日間あるのだから、その九日間が満員客止めの盛況を呈するかもわからないが、それでも初日らしく、もつとはな/″\しく幕を開けたかつた。

 金子洋文君の『牝鶏』は私がかねて、某紙上で月評をした作品であるが、読んだ時にははつきりつかめなかつた地方色
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