勝ちであつた。このニュアンスは、伊志井君によつて、ある程度まで捕へられたといつていい。勿論、伊志井君の前途は遼遠である。しかも、誰か、今度の舞台を見て、この青年俳優の前途に大なる期待をかけないものがあらう。
 日本によい喜劇が現れるのも遠いことではあるまい。

 かう、少しふんぞり返つて物をいふ癖は、何時になつたらなほるだらう、などゝ考へて、重たい空の色を眺めると、私は、早く東京を離れたい。七月に鶯がなき、八月に芝の穂が出揃ふ沓掛の高原は、私を待つてくれてゐる。私はそこで、「自分の仕事」をしよう。

 私は久々でマアテルリンクとポルト・リシュを読んだ。マアテルリンクの『めくら』は、翻訳をするつもりで読んだのだが、どうもつまらない。こんな筈はないのだが、と思つて、また読み返して見たが、途中でどうにもやりきれなくなる。何時かフランスの批評家で、マアテルリンクをこつぴどくやつゝけてゐる男がゐたが、これを見た時、生意気な奴だ、これが解らんのか、と思つて、自ら天才を識り得るの明を誇りとしたことがあつた。今から思へば、その男、案外話せる男かも解らない。その中に、『タンタヂルの死』か何かを読み直して見よう。マアテルリンクの『めくら』がつまらないのに引きかへて、ポルト・リシュの『過去』は、やつぱり面白かつた。台詞の一つ/\に引きずられて行く。女主人公ドミニックの生活を通して、『めくら』どもが何か解らずにゐるものをはつきり見せてくれる。
 マアテルリンクが、あれほど世界的に騒がれたのは、確かに、一つの新しい傾向を示したからでもあり、フラマン人独特の神秘感が、作品にユニックな味を与へてゐるからでもあるが、これよりも第一に、彼の用語が平易であり、未熟なフランス語の知識を以てさへ、充分に読みこなし得る便宜があるからであると思ふ。さういふ例は外にもある。ワイルドのサロメの如きは、その最も甚だしいものであらう。
 これに反して、ポルト・リシュのやうな作家は、その作品が最も洗練された口語体で書かれてあり、最もニュアンスに富む俗語の詩的表現である所から、特殊な生活の色調を外にして、その芸術の妙味を捕へることは困難である。この意味で、非常に、世評の上で損をしてゐるといつて差支ない。
 勿論、私とても、ポルト・リシュが、所謂「偉大な作家」として凡ゆる条件を具備してゐるとは思はぬ。その点からいへば、なる
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング