、舞台にかけるまでは二人で協力してやる例は度々なのです。今日の日本はそういう状態にまだなっていないようですが、これは作者の方もそういう風につとめなければならないと思う。
今度は同僚の場合です。同僚というものは非常に面倒なものです。同僚であり同時に競争相手です。相手があって初めて芝居ができるのであるけれども、しかし往々にして、相手の為に自分の芸というものが舞台の上で消されて了う。食うとか食われるとかいう言葉が俳優の間で使われるのはその為です。しかし、芸術的な協力というものは、他の部門では、例えば絵や彫刻の場合、或は音楽の作曲とか演奏とか、殊に文学の作品に於ける合作という場合には、二人の間に全く一致した見解と助け合う気持がなければ、できないのですけれども、俳優は往々にしてそうでなく、稽古の時には両方でちゃんと調子を合わせて稽古しながら、いざ舞台に上るというと、相手の芸をなるべく目立せないようにして、自分の芸をなるべく目立たすようにするというような、非常に陰険な卑劣なことが、因襲として今日まで行われているのです。常にそうではないけれども、そういうことが俳優の場合には度々行われる。これは日本
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