術とかに対立させて、演劇とはこういうものである、というのは美学的定義といえるのです。そういう定義に立って芝居というものを考えていると、おのずから、俳優というものについて考える時も、今と同じ言葉を使うと、つまり美学的な――俳優の仕事、或は演技というものの美学的地位、美学的な一つの目的というものしか考えられない。これがやはり私の考では非常に狭い。或は俳優の仕事というものを人間の立場から考えなくさせた大きな一つの原因だと思う。
そこで芝居、或は演劇とはなんぞやということを考える場合に、やはりこの社会に、或は人類の間に、演劇、芝居がどういう風にして、なぜ、生れて来たか、そこまで考えなければいけない。そうして、その芝居というもののなかで占めている俳優の位置というものを考えますと、そこに初めて俳優とはなんぞやという問題が、舞台とか或は劇場とかいう、そういう一つの限られた場所から飛躍して、全人類のなかに於て占めている一つの俳優の地位というものが明らかにされてくる。そういうことによって、俳優というものの尊厳な一つの意義が発見されます。
演劇史を少しよんだ人は知っている筈ですけれども、芝居がいったい
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