に適した声と云っただけでは、どんな声か、まだよくわからない。
 普通いい声という、そういう声が勿論、芝居やトーキーで悪いわけはありませんが、俳優としてやはり、いわゆる美しい容貌を恵まれている人と同様に、確かに、これは若干の強味であると同時に弱味でもあるのです。なぜなら、声がいいというだけで、その自分の声に余り頼り過ぎて、その声をほんとうに調節し、使いこなす修業をついお留守にします。つまり、声を相手に聞かせることだけで満足して、その声を使って、芝居で大事な、何を相手に伝えるかというその伝えるもの、伝える方法を軽く見てしまう危険がある。
 この例も沢山あります。そこで声についてもう少し細かく話をしたいと思うのですが、この講義は実は倫理のお話ですから、それと関係のありそうなことだけを話すことにします。
 普通いい声、悪い声、或は高い声、低い声、そういうことをいうが、それ以上に、さっきの容貌姿態の時と同じように、もっと精神的な要素を声の質に結びつけることがあります。例えばやさしい声、或いは突慳貪な声、甘ったれた声、悲しい声、そういう風に声と人間の感情を結びつけること、それからまた、その声の質に
前へ 次へ
全106ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング