もっと人間の値打のようなものを結びつけることがあります。これが一番はっきり分るのは、利口な声と、馬鹿な声です。云っていることがなんであっても、その人の声によって、その人が利口か馬鹿か、ほぼわかる。これは恐ろしいことであります。或はその人が非常に考え深いか、或は軽薄か、そういうことが、声で大体見当がつきます。一例を挙げればそうですけれども、この声というものは、やはり子供の時から大人になるまで、或は年寄りになるまで、決して同じでない。段々変って来ます。しかも、その変り方がいろいろな条件で変る。風邪をひいて咽喉を痛めたというような一時的なこと以外、いろいろな条件で変る。年をとると、だんだん声も年をとりますが、年のとり方にいろいろある。人間の声は生活によって鍛えられ、或は荒らされる。鍛えられるというのは声を絶えず使うような仕事をしている人でなくても、自然に生活で鍛えられた声というのがある。充実した、立派な生活でも鍛えられるし、苦労と闘い、血みどろの生活のなかでも鍛えられる。いわゆる人間がしっかりしてくるのと比例して、声もしっかりして来ます。底力があり、頼もしい声です。年をとっても、苦労を知らな
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