合に働くだけでなく、ものごとを表現する場合にも働く。自分で或る事柄を現わそう――云い現わそう、或は身振でそれを人に見せよう、という場合にも、感性というものは働くものです。ですから受身になって或る事柄を感じて受けとるという場合でなく、或ることを現わすという場合にも、感性というものが非常に大事なのです。それはどういう風に働くかというと、自分が示そうとしていること、現わそうとしていることが、目的どおり適切で正確であるかどうかということ、そういう度合を微妙に感じる力、それを瞬間に規整する力です。
例えば、ここで泣き真似をする。如何にも本当に泣いているようにみせようとする。本当は泣いていないのだが、冗談に泣いているというのがある。よく誰でもふざけてやることですが、そうでなく本当に泣いてる真似をする。これは俳優の演技としてはやさしい、やさしいというより寧ろ一番単純なことです。物真似ということは、俳優の演技の一番原始的な部分です。その泣き真似をここに持って来る。その時には、自分流の泣き方以外に、いろいろな人の今までの泣き顔を頭に浮べる。いろいろな人のいろいろな泣き方というものをこれまでに見ている。
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