なければならない。つまり俳優が自分というものを離れた別の人間になっているという嘘――それを普通に嘘といえば――そういう嘘を全くのりこえたところに真の生命がある。これはやはり他の芸術の場合には、それが素直に一般の人の感情に伝えられるのですが、俳優の場合はそこに俳優自身の肉体というものが眼の前にあるだけに、そういう俳優の芸術にも共通である真実性が往々人にわからないですまされる。
 もう一つは俳優がその真実性というものを本当に掴んでいない。そういうものを本当に舞台の上で見物に示すという芸術家的な信念、情熱がない場合には、これは全くその世間の偏見を正すことはできない。俳優はなるほど一般公衆の前に自分の肉体を示すが、しかし、それと同時に、俳優は俳優の全精神を、魂を、舞台の上に立派に表現している。その点をしっかり俳優自身が自覚していなければならない。そうして仮令他の芸術家が作品を通してその芸術家の精神のみを伝えているにせよ、肉体というものは精神にくらべて、特に卑しい、或は汚れているものだということは絶対にない。もっとも、この芸術論の立場に対しては、或はそれに反対した立場というものも考えられましょう
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