、物語の作者というものは、やはり社会の一般水準からいいますと、決して高い地位はえてなかったのです。
 しかし、今いったように、俳優の場合、そういう一般の芸術家に対する考え方のなかにあって、特に自分の姿を公衆の前にさらすということがあり、而も自分の姿のままでなくて、それを偽って見せると世間は思っております。偽って、だまして、自分以外の姿として、それを人に見せている。それは今いったように芸術論というものの幼稚な時代の一つの一般的な考え方であるが、それならば今日はどうか。今日でも尚且つ一般世間は芸術に対して、それ相当な尊敬を決して与えておりません。これも俳優芸術に限りません。一般の芸術に対して、世間は芸術家が望み、或は芸術を愛するものが望んでいるような尊敬の仕方はしていない。それを土台として頭において戴きたい。もう一つは俳優の芸術、即ち演技というものが、肉体を働かせることによって生ずる一つの感覚芸術であるという誤解です。少くとも肉体のみによって成立つ芸術だと思っている一つの誤解、これを先ず改めさせなければいけない。これも少し考えてみればなんでもないことで、誤解であることは直ぐわかるのですが、
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