前で自分以外の他の人物に自分を擬する。これは考えようによっては、身分本来の姿を隠して、自分と全く異った別の人間の振りをすることだ。この考えを押しすすめて行くと、己れを偽って、そうして全く自分とは関係のない他の人間であるかの如く人に信ぜしめるということです。こういう風にいうと、問題が面倒になります。人間は自分というものを偽ってはならぬ、自分というものをちゃんと、ありのままに、示すことが、普通一般に立派なことと考えられております。ところが俳優というものは、自分をそのまま人に見せない、人の眼をだますことを商売にしている、うまくだませばだますほど人がよろこぶと心得ている、これはどうしても普通の道徳と相反する行為をしているのである。こういう風に俳優の芸術というものをみれば、おのずから偏見が生じるわけです。
世間一般は必ずしもそういう風に理屈はつけていない。理屈はつけてはいませんが、なんとなく俳優の仕事を見る場合に、こういう見方もできるものらしい。これでは彼等としても俳優の仕事を尊敬することはできません。それではそういうことを理屈としてちゃんといった人がいるかというと、これはなくはない。それで最
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