うものを更に芸術化したものでなければならない。その芸術化するということによって、この仮感が生れて来る訳です。それはまた恰も現実の如しという感じとは違う。恰も現実の如しということでは満足はできない。それならば現実をみればいい。現実に於ても見られない、舞台の上で俳優によって演じられている、その演技によって初めて受けるところの感銘、そういうものが即ち芸術なのです。例えば、舞台に於て泣く、本当に泣いているということは別に巧いということではない。それは物真似です。これも俳優の才能というところで、物真似と俳優の演技の違うところを話そうと思います。実際はあんな風に泣くことはない。実際泣いているように見えるよりもっと泣いているということを見物の眼と耳に沁み込ませるものが俳優の演技です。本当に泣いているように泣いているというのでは、これは俳優ではない。
そこで、この俳優とはなんぞやということについて、現在に於ける一般の状態からして俳優とはこういうものだという風に考えることは、別段今日重要なことだとは私は思わない。むしろ元来こうあるべきものであるということこそ、俳優とはなんぞやという問題に最もよく答え得
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