嗜みということを加えたいと思う。俳優もやはり一つの職業人です。その職業人としての誇りと嗜みというものがなければならない。この点がまた、今日まで俳優道徳というものに欠けていた点です。職業人といえば、その職業を遂行する上に於て、いろいろな人的関係というものが生ずる。いろいろな人を相手にしなければならない。その相手にする人というのは、先ず企業家です。演出家です。或は脚本家です。俳優としての同僚です。更に見物、或は批評家というものがあります。こういう人たちと絶えず接触をしなければならない。即ち職業人として、如何に誇りをもち、如何に嗜みをもって、そういう人達との関係を秩序あるものとして行かねばならぬかということは、俳優の道徳として非常に大事なことです。これもごく簡単にお話します。
先ず演劇は綜合芸術だということをいいます。綜合芸術だということは、いろいろな芸術の部門が集って、それらの協力によって出来上った芸術という意味ですが、しかし綜合芸術という言葉は、実はドイツのワグネルが芝居に対して初めて使った。音楽、美術、舞踊、文学そういういろいろな要素によって芝居が出来上っているという意味で、綜合芸術ということをいったわけです。これは実はワグネルが自分の専門とする歌劇について論じた一つの意見ですが、そのワグネルの歌劇論が近代演劇論の口火になったのです。その為に演劇は綜合芸術なりということを、今日もなおいう人がいます。その点では私は少し意見が違う。意見が違うが、しかし、それはそれとして、芝居は多くの人達の協同作業であるということは、これは間違いない。非常に沢山の人が力を合わせて作りあげる仕事であるということは間違いない。そういう意味で、今あげた人々とは、いろいろな関係で共同の責任を分ち合わなければならない。
先ず、企業家は概して資本家です。しかし企業家対俳優というものは、これは決して資本家対労務者ではない。また、封建的な意味に於ての主従関係でもない。それはやはり他の生産部門と違った、特殊な関係であることを考えなければなりません。俳優を今日の興行者は決して単なる労働者として扱っていないでしょう。また主従関係に於ける如く隷属視していないと思うけれども、どうかすると、この資本家対労働者、或は主従関係というようなものが、何か隙があれば流れ込んでくる惧れが多分にある。それは一方興行者側に於ても、新しい思想によってそういう誤った観念を一掃しなければならないけれども、また俳優自身としても、企業家に対してそういう頭を以て臨んではならないと思います。
演劇、映画の企業形態というものは現在いろいろあって一概にはいえませんが、結局演劇乃至映画の企業家と俳優の関係は、全く他に例のない特殊な関係なのです。それが特殊な関係であるということは、今日までいろいろな例でみなさんも御承知と思うが、この間に一つの新しい道徳というものが、ここで作られるのでなければならない。これはみなさんには、そういう問題が今後あるということだけ頭においていただいて、そういう道徳とはこういうものだということについての私の考えは、ここではいわないことにします。
その次は同じ芸術家であり技術家である演出家――演出家と俳優との関係。演出家というのは、いわば音楽の演奏に於けるコンダクターのようなものであると私は思う。しかし、今日の日本の実情に於ては、このコンダクターは、同時に多くの場合、教師をかねているのです。だが、この関係は徐々に変ってくると思う。必ずしも演出家は俳優の先生ではなくなる時代がくると思う。先生ではなくなるが、しかしコンダクターである。このコンダクターと演奏家との関係を考えれば、その演奏が最も完全に行われる為に、コンダクターと演奏家との結び付き方はどういう風でなければならないかということは、素人でもわかります。ただ、演奏家が非常に優れている場合、即ちコンダクターとその演奏家と、芸術的な才能に於ても経験に於ても適わない、同等であるという場合には、この両者の間の関係はどうなるか、そこに一つの一番微妙な関係が生じる。それはどういうことかというと、一つの団体の活動というものにはどうしても指揮者が要る。その指揮者が総てのものの上に立つのではあるけれども、すべてのものよりすべての点で優れている必要はない。指揮をするという技術だけが優れていれば、その他では全く同等であることができるのです。
演出家と俳優との間で、演出という技術に於てその演出家が専門家であれば、その他の点に於て俳優と演出家とは同等であって差支えない。また、そうなり得るものである。事実、そういう例が沢山あります。そういう場合には、俳優と演出家との間では、結局、信頼と友情と意気の投合というものが存立すればよろしい。この演出家と俳優との関係を
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