般の人から俳優が不信の眼で見られるのは、そういうところにも原因があることを注意しなければなりません。つまり、そういう特質を自分で許しすぎる為でもある。俳優の場合には、それ自身欠点ではないというような性質が、どうかすると、その生活を乱すのですが、これもその例の一つです。
以上三つの点で、普通の人のいう道徳というものと、一見矛盾する点があるように思われます。これは極く表面的な意味で矛盾するように見えるのであって、本質的に、人及び芸術家としての理想が矛盾するのではありません。
更に、この、俳優の、人及び芸術家としての理想の中には、ただ人間として人格の完成を目指し、芸術家として美の創造を目標とするということ以外に、一つの大事な役割の達成があります。それは社会に於ける俳優の文化的役割というものです。俳優も他の文化部門の人達と同様に、世の中の進歩、文化の発達ということに寄与しなければならない。その寄与することが、俳優の一つの大きな役割です。勿論、演劇という芸術を通じて、俳優は演技によってそういう役割を自然に果しているのですけれども、しかし、演劇というものは、俳優一人でできるものではない。俳優は既に演劇という一つの文化的役割を持っている仕事に従事しているのですから、それだけで文化的役割は或る部分果しているのですが、殊に俳優としての文化的役割がこの他にあります。それはどういうことかというと、次の三つであります。
俳優は先ず、その俳優が優れた俳優であり、多くの観衆から讃美の的となっていればいるほど、何等かの意味に於て一般の民衆のお手本になっているということです。一般民衆がその俳優のどこかを真似ようとする。この影響力について考えなければならない。俳優は民衆の一つの偶像である。俳優は直接一般民衆に何も教えるような役目は持っておりません。これは他の芸術家と同じですけれども、しかし少くとも俳優は自分の全部を一般民衆の前に示して、そうして而もそれが一般の民衆の憧れとなるのですから、一番大事な点は、民衆の趣味というものと関係を持つことであります。ある人気俳優の言語動作、化粧法などというものは、非常に速かに一般民衆の中に伝播されます。既に日本でも歌舞伎俳優というものは、わが国の或る一部の社会には、その趣味の影響を非常に与えております。現在では、外国のトーキー、殊にアメリカ映画の俳優が、日本の若いゼネレーションに非常に趣味的な影響を与えております。しかもその趣味が、けばけばしく悪くなればなるほど、影響力が強いということが非常に恐ろしいことです。その趣味がよく洗練されていれば、それは目立った影響力、直接な影響力はないかも知れないが、一般民衆に知らず識らず深い影響を与えるものです。これが先ず大事なことです。
今日まで日本ではあまり気づかれていませんが、実際には俳優が喋る言葉が一般に影響力を持ちます。つまり俳優は言葉のチャンピオンです。俳優の使う言葉が、その国のその時代の、最も正しい標準になる、美しい言葉でなければならない。現に欧米ではその通りになっております。これも一つの大きな文化的役割として、これからの俳優はおろそかにできない問題です。
もう一つは、いかに多くの俳優が揃っていても、それがただ名優であるというだけでは、その国の文化のバロメーターにならない。文化の水準が高いとはいえない。何故ならば、ジャバにはジャバの名優があり、アフリカの土人の中にかりに芝居らしいものがあるとすれば、その中に名優がいるかも知れない。だから名優が沢山いるということだけでは、その国の文化が高いという証拠にならない。その国の文化が高いということの一つのバロメーターになるのは、俳優の中に学識のあるものが沢山いるということです。現代人として最も高い教養をもった人達が、俳優の中に沢山いるということが、その国の文化が高いということのバロメーターです。
ですから、例えば外国の大学で、日本の俳優にひとつ来て貰って日本の芝居の話をして貰いたいといわれた場合、そこへ出かけていくと、大学の学生ばかりでなく、大学の教授、更にその国の沢山の文化人、学者、芸術家などが、その講堂に集って、恐らく日本の俳優の講演をきくでしょう。その場合に、その俳優の喋る話の内容が、いわゆる知的な水準に於て低かったならば、日本の文化は甚だ貧しいものと判断されても仕方がない。西洋の文明国ならどこの国へ行っても、その国の俳優が、大学者などと少しも違わない調子で、演劇の専門的な薀蓄を傾け、一般国民に公の場所で話をしていることがよくあります。それを今日の日本に於て直ちに求めることができなければ、ひとつみなさんの時代には、是非そういう風になっていただきたいと思います。
人及び芸術家としての理想のなかに、もう一つ職業人としての誇りと
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