の記憶力をもっている人に非常に迷惑です。共同作業としての演劇を妨げるものです。これも決して先天的と限るわけにいきません。記憶力は最も確実に、訓練することによってえられるものです。しかし、また一通りの訓練ではどうにもならない程に記憶力の鈍い人もあります。
B 肉体的素質
肉体的素質を大きく分けて、容貌姿態と声の二つとします。普通肉体的条件と云いますと、顔が綺麗であるとか、或は姿が好いとか、肉体の均斉がよくとれているとか、いろいろとそういう風に云いますけれども、そのほかに声を含めます。俳優としての肉体的素質は、私の考えでは、普通の意味で恵まれているにこしたことはない、ということが一口にいえる。肉体的素質が恵まれているということは、どういうことかというと、顔が綺麗であるとか、姿がいいとか、声が美しいとか、そういう簡単な標準できめてしまうこともありますけれども、それならどういう顔が俳優として綺麗だと云えるか、どういう声が美しいか、そういうことになると、これは大変にむずかしい問題になる。
普通、男の人でも女の人でも、顔が綺麗だと男の人なら美男、女の人ならば美人というが、それと、俳優としての肉体的条件から云って、その顔が美しい、或は姿に魅力があるというのとは少し意味合が違う。これを十分に知っていなければならない。大体人間の顔が綺麗だとか、姿が好いとかいうのは、勿論一つの常識的な標準に従って、それを決めるのだけれども、そこには又万人の好みもあり、国や時代によっての標準の差異などがあって、今日すべてに共通な美の尺度というものは、きめるわけにはいきません。まして、どの程度に綺麗だということはなかなか云えない。それはどういうことかというと、美しいとか綺麗だとかいうことは、単に形の上からばかり論じるのでなく、そこには、常に肉体の表情を決定する精神的な要素がいろいろの度合で含まれるからです。女の人の顔かたちを批評する場合でも、お人形のように綺麗だという場合もありましょう。或はまた非常に愛嬌のある美しさだという風に云うこともありましょう。或はいわゆる美人とは云えないけれども、なんとなく、眼の表情に人を惹きつける魅力がある。こんなところまで来ると、いわゆる美人ということと、人を惹きつける魅力があるということとは、殆ど違った標準で語られているような印象を与える訳です。
そ
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