も有名なのはフランスのジャン・ジャック・ルソーという人です。ルソーは御承知だろうと思うけれども、いわゆる近代思想の一方の代表者で、文学の上でいわゆる自然主義の開拓者の一人です。つまり、人間は自然にかえらなければいけない、人間のいろいろな粉飾というものを去って自然にかえらなければいけない、一口にいうとそんな倫理を説いた人ですが、そういう人であればこそ、芝居というものがそもそも面白くなかったのでしょう。殊に俳優の業というものは一人の人間を最も自然の姿から遠ざけ、いろいろな粉飾を施すことによって自己を没却してしまうもののように見たのです。これはルソーの倫理学からいえば、一つの邪悪である。ルソーはそういう風に一つの哲学的立場から俳優の仕事というものを非難し、軽侮している。この考え方はいわゆるルソー流の考え方で、世間一般はこれほどはっきりした思想の上に立っていませんが、理屈をつければそういう理屈になりうるような、そういう感情が一般にあることを、先ずみなさんは知っておいていいと思います。またそういうことを薄々感じていられる方もあると思います。しかし、俳優の芸をこういう風にみることは、即ち演劇というものを否定することになります。これはルソー以来今日まで、ヨーロッパ諸国のなかでも、必ずしも跡を絶った思想ではない。社会一般が感情的に俳優の仕事をそんなに尊敬しないばかりでなく、ルソーのようなはっきりした考え方を持っているものがまだいます。
日本ではどうかというと、これは御承知と思いますが、「河原者」という言葉がある。「河原乞食」ともいいます。これは元来歌舞伎劇というものの成立を調べれば直ぐわかるのです。例えば、於国という出雲神社の巫女が、平生は神社の巫女として神聖な歌舞を業としていたのですが、彼女は自分の芸を一般大衆の娯楽にまで押進めようとしたのです。そこで、京都に出て、三条河原に小屋掛けの舞台を作って、そこで極く原始的な楽劇をやって見せた。この河原というのは当時の都市に於る唯一の広場です。そこで、おそらく、他の都市に於ても、この種の興行物は河原を選んで行われたろうと想像されます。ともかく、この歌舞伎の小屋が河原にたてられ、俳優はこの小屋で起居したというところから、一定の住居もなく、芸と媚を売って諸国を転々とする男女、即ち「河原者」という名がつけられたのです。
近代の演劇史を通じて
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