のを、余り尊敬すべき仕事でないと考えるような一つの偏見が先ずある。もう一つは俳優になっている人、即ち俳優自身についても、その日常の生活や社会人としての行動や、職業意識の現れなどから、これを普通の人間として尊敬できないものであるかのような考え方をするものがないでもない。みなさんは、俳優を志望するに当って周囲の眼がなにを語っていたか、思い起すことができるでしょう。おそらく、それは複雑なものであったろうと思います。
 俳優の仕事自体に対する偏見、俳優を人間として見ての偏見、その二つを今あげましたが、それを一つ一つ分けて申します。俳優の仕事が尊敬すべき仕事ではないというような考え方は一体どういう風にして起って来たか。この前お話をしましたように、俳優とはなんぞや、俳優の天職とは何か、それがはっきりわかれば、俳優の仕事は十分尊敬すべき仕事であり、また俳優は人間として、ほかの仕事に携っている人間と少しも変ったところはないのだということがわかるのですが、それにも拘らず、前に云ったような偏見が世間にあるのはどういうわけかというと、先ず第一に、俳優芸術というものに対する理解がないからです。
 俳優は公衆の前で自分以外の他の人物に自分を擬する。これは考えようによっては、身分本来の姿を隠して、自分と全く異った別の人間の振りをすることだ。この考えを押しすすめて行くと、己れを偽って、そうして全く自分とは関係のない他の人間であるかの如く人に信ぜしめるということです。こういう風にいうと、問題が面倒になります。人間は自分というものを偽ってはならぬ、自分というものをちゃんと、ありのままに、示すことが、普通一般に立派なことと考えられております。ところが俳優というものは、自分をそのまま人に見せない、人の眼をだますことを商売にしている、うまくだませばだますほど人がよろこぶと心得ている、これはどうしても普通の道徳と相反する行為をしているのである。こういう風に俳優の芸術というものをみれば、おのずから偏見が生じるわけです。
 世間一般は必ずしもそういう風に理屈はつけていない。理屈はつけてはいませんが、なんとなく俳優の仕事を見る場合に、こういう見方もできるものらしい。これでは彼等としても俳優の仕事を尊敬することはできません。それではそういうことを理屈としてちゃんといった人がいるかというと、これはなくはない。それで最
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