ャック・コポオは、自ら理想とする俳優教育法を実行してゐるのである。アントワアヌの如きは、コンセルヴァトワアルの入学試験に失敗して以来、独学的修業をしたのであるが、その修業の道程が、少しもコンセルヴァトワアルの教育法から暗示を受けてゐないとは云へないのである。否寧ろその点、肯定的に或は否定的に、大なる影響を受けてゐると断定し得るのである。
 愈々俳優学校の必要を認めるものとして、現在日本では如何なる組織の下に、如何なる方法を以て、この種の学校を設けたらよいか。これにはいろいろ議論があることと思ふ。
 先づ俳優の教育は、俳優自身これに当るべきであるが、その適任者を求め得るか。これが問題であるに違ひない。前に述べた事実に遡るまでもなく、さういふ適任者が既にあるなら、かういふ学校の必要を、れれわれが説くには及ばなかつただらうと云ひ得るのである。さうすれば勢ひ、俳優以外のもので、俳優の演技の批判者であり、且つ舞台芸術の分析的研究をしてゐるものが、主として理論的に、時としては実際的に俳優の演技に必要な基礎的知識を与へるといふくらゐで、当分満足しなければなるまい。そこでは少くとも、今日の俳優として有
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