かと思つたところで、それはかの劇作家が、外国の戯曲を読んで「わかる」ほどにもわからないのが普通である。若しそれが、ある程度までわかるとしても、今度はそれを真似ることが、戯曲の創作に於けるより困難であらう。何となれば、その時はもうお手本が眼の前にないから。
 これがつまり、わが国に於ける新劇俳優の技芸が、いつまでも素人の域から脱しない第一の理由であらう。
 わが国の新劇俳優が、いつまでも素人であるといふ事実は、即ち新劇なるものに対する世間の軽侮を生み、新劇は退屈なもの、巫山戯半分なもの、ぎごちないもの、金を出して見に行くのは馬鹿らしいものといふことになり、興行師も一方旧劇といふものがある以上、わざわざこの不景気な新劇に手を染めようとせず、俳優志願者も、少し素質のあるものは、映画などに走り、従つて、またいつまでたつても、優れた新劇俳優が出て来ない。
 優れた俳優がゐないから、仮令相当な新作戯曲が現はれても、それを演出して効果を収めることができず、新作劇の優れた演出を見得ない結果は、若い劇作家も若い俳優志望者も、舞台から何等の霊感を受けることが不可能であり、十年一日の如くわが新興劇壇は、欧米
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