覚えるが、興行を終へると、間もなく忘れてしまふ記憶力、最初はなかなか覚えないが、一度覚えたら、二年や三年は忘れないといふ記憶力、何れも一長一短であるが、長くかかつて覚え、忘れるのには暇がかからないのや、いつまでたつても覚えず、従つて、忘れる必要もないといふ徹底したのに至つては、さすがに始末が悪い。
記憶力だけで芝居はできず、従つて、いくら覚えがよくても、それだけで名優にはなれないが、記憶力がいいといふこと、殊に、早く台詞を呑み込むといふことは、いろいろの点で、俳優の強味である。殊に、稽古の日数は大抵制限されてゐるのだから、それだけ、工夫も積めるし、心持に余裕もでき、舞台に立つて不安を感じることも少く、勢ひ、演技に力と熱がはひる。
ところが、古来記憶力の弱い名優が案外に多いことは皮肉な現象である。日本でも現にその適例があるやうである。
しかし、台詞を覚えるのが面倒だ、どうせプロンプタアがつくのだからと云つて、横着をきめ込んでゐるのなら、その俳優は、当に、自ら墓の穴を掘るに等しい。
声と柄と記憶力、これは、上に述べた如く俳優の「道具」である。演奏家の楽器である。良い楽器は傑れた演奏
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