には必要であるが、畢竟、それはそれだけのものである。楽器だけあつても、音楽にはならない。然るに、なんと、楽器だけを褒める聴手の多きことよ。それよりも、なんと、楽器だけに信頼する演奏家の多きことよ。
 次に、柄《がら》といふ問題に関聯して、俳優の精神的能力が、肉体的条件を如何に左右してゐるかを考へてみたい。
 先づ近代人の精神生活、殊に知識階級の思索と瞑想は、その容貌を著しく理智的な陰翳によつて特色づけた。それは、昔から云ふ「悧巧さうな顔」とは違ふのである。「気のきいた顔」とも違ふのである。「鋭い眼光」や「引締つた口元」だけではないのである。時にはもつと複雑な、時にはもつと神秘的な、時にはもつと気まぐれなものである。例へば憂鬱を宿す額、懐疑そのもののやうな瞼、触角の如く動く小鼻、それから、口の結び方――これこそ、凡ゆる教養と性格の閃きである。さういふ近代的顔貌は、今日、日本の若き作家の作品中に於て遭遇するものであるに拘はらず、現在の舞台では殆ど見ることのできないものである。
 それだけならよろしい。当今は、単純な又は無教養な一介の人物をさへ、作家は昔の如く観、昔の如く描いてはゐないのであ
前へ 次へ
全10ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング