巴里の新年
岸田國士
旅の眼に映じた外国の正月をといふお需めで、一昔前の記憶から探してみたが、其処にはほとんど、「お正月」といふものがない。我々の頭に幼少の頃から浸み込んでゐるお正月、新年、といふものとは、およそかけ離れたものであつた。古い一年が逝き、新しい年が来るといふ事を、我々の祖先が何故こんなに重大事とし華やかな儀式を以つて迎へる様になつたか、その穿鑿は別として、欧米人は、実にあつさりとこれを扱つてゐる。私は丁度四回の新年を巴里で迎へたわけであるが、仏蘭西人の下宿に住み、故国からの留学生とか、大使館関係の人達との交際なども少なかつたので、猶更、その正月はひつそりしたものであつた。最初の年はそれでも、「あ、今時分は弟妹達、雑煮でも祝つてゐるかな」とか、母の得意の煎田作で飯を食べてみたいとか思つたりしたものであるが、次の年からは、そんな感傷も薄らぎ、結句、煩雑な儀礼に縛られないで済む身軽さの気持に、のびのびと己れを浸してゐた。
それでも大晦日の晩は、レヴエイヨンといつて、みんな大概レストランか何かに出かけ、知人等と食事を供にし、踊つたり、唄つたりで、夜を更かす、つまりそれが外国
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