では、新年を迎へる気持の唯一の現はれと云へよう。その騒ぎも、夜が明ける頃には、何処もすつかり静まつて、街上にも屋内にも、平常と何の変りもない一日が来る。起きて、食堂にでも出て来ると、流石、下宿の女主人が、「お早う」の代りに「お目出度う」と云つてくれる。しかし、それもほんの軽い挨拶で、別に、その言葉から正月を感じさせてくれるやうなものではない。
カトリック教の国に、「王様の日」といふのがある。これは偶然、日本の「松の内」にあるお祭り日であつて、向ふの人達には、新年とは関りのないものであるが、日本人である私などには、時が時なので、ちよつとその日はお正月らしい気分を味はへるものだつた。それは、聖書にある通り、基督が生れた時、東方の国の博士達が星の占ひで、ベツレヘムに偉い人が生れたと云つたのにより、東方の国の王が、その誕生を祝ひに来た、といふその日を祝ふのである。この日、各家庭では、独身だつたり、遠くから学校の寄宿舎に来てゐる人など、家を持たない人達を招き、煖炉を前にして、カルタや、唄や、隠し芸の披露や、極く呑気に家庭的な娯楽にうち興じる。そして、この日には、食後に必ず特別の菓子が出る。丁度
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング