厚くて、肩が怒つて、膝が曲つてゐて、お喋べりで、感情家で、無鉄砲で、一国者で……そして、それはイプセン自身なのである。自分を主人公にして悲劇を書くほどおめでたい作者は、西洋にはそんなにゐないやうである。
 ピトエフ一座の「幽霊」を観たのはそれから後である。ルメエトルが以て不可解なりとした「北方の女」は、私には存外うなづけるのであるが、此の芝居は役者が下手で少々観づらかつた。ピトエフのオスワルドはただ陰惨な顔をしてゐるだけだつた。尤も此の戯曲などは、所謂喜劇の部類にははひらないやうである。
 その次に、コラ・ラパルスリー夫人の経営に移つたモガドオル座で、製作劇場の俳優を中心とするペエア・ギュントを観た。
 衣裳などはわざわざ諾威から取り寄せるといふほどの凝り方だつたが、その割にデュボアの舞台装置は平凡で、期待を裏切られた。ただ、オーセに扮したのは、かのデプレ夫人であり、ソルヴエイヂが、クリスチヤアヌ・ロオレエといふ無類の美少女であつたことは忘れ難く、ペエア役のアンリ・ロオジェも一と通りあの大役をこなしてゐたやうに思ふ。私は、イプセンの戯曲を読み、此のペエア・ギュントの第三幕目、オーセの死
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