るあの深い眼ざしが、彼女の特殊な才能を物語つてはゐるがどう見ても「小鳥」の柄ではない。
 それがどうです、夫ヘルメルの傍に心持首をかしげて立つた彼女は、正しく「彼の人形」であり、子供と戯れながら机の下から首をつき出した彼女は、たとへその睫に一滴の涙が光つてゐなくつても、それはたしかに「悩みが美しくした女」を描き出してゐたのです。
 私は此の芝居を観て、多くの批評家が云ふところの「目覚めたる婦人」について、何等問題とすべきものを発見しなかつたかはりに、却つて、此処にこそ「永遠の女性」そのものの姿を見た。これは皮肉でもなんでもなく此の劇を佛蘭西流に演出すれば、さうするのが自然のやうに思はれた。
 一体にイプセンの戯曲は、多く悲劇的外貌を備へた喜劇であり、その喜劇的要素は、主要人物を特種な性格なるが故に英雄化する常識的解釈によつて完全に葬り去られる場合が多い。
 私がコメディイ・フランセエズで観た「人民の敵」も、その意味で、最も此の戯曲の喜劇的特質を活かしてゐたと記憶する。主人公たるストックマンには、私の好きなフェロオディイが扮した。これはまたお誂へ向きな温泉場医者である。頭が大きくて、唇が
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング