白を切り、或は家庭以外ではやらぬと、妙に威張つてみせた。
 先づ第一に、会社の同僚が黙つてはゐなかつた。殊にそれまでの飲み仲間は、やゝ敵意をさへ交へた調子で、早く生命保険にはいれなどとからかつた。
 浦野今市君は、別にさういふ仲間を怖れはしなかつた。禁酒の理由はどうにでもつけられるが、どんな理由よりも堂々とした理由が実際はある。それをわざ/\吹聴せぬところに、内心、浦野今市君の矜りがあつた。
 そして、これまでは、どれほどのものともわからなかつた自分の意志の力を、こゝで試してゐるのだといふ、一種の満足も手伝つて浦野今市君は、むしろ、仲間の無反省を憐れみたいくらゐであつた。
 よんどころない会合の席で、皮肉な若手と頑固な上役に盃を押しつけられ、進退|谷《きは》まつて、彼は、粛然と膝を正し、
「折角ですが、実は、思ふところあつて、酒を断ちました。どうかあしからず」
 と、空の盃を乾す真似をしてみせた。
 一座はどつと笑ひこけた。浦野今市君の台詞《せりふ》としては、それほど奇想天外なのである。
 夜おそく帰る夫の、ぱつたりと酒臭い息を嗅がせぬやうになつたその変りやうを、細君は細君で、いくぶん
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