んだ」
と、浦野今市君は、とぼける。
「すつかりやめておしまひになれないなら、家の方でなんとかしますわ」
夫の永年の習慣を、しかも、それほど害もないと思はれる楽しみを、こゝで急に奪つてしまふ気にはどうしてもなれないのが、細君としての真情であつた。
しかし、細君にさう出られると、浦野今市君も男の意地を立てねばならぬ。
「なんとかするつたつて、どうせお前一人に苦労させるだけのことだ。よし、断然やめる。やめる、やめる、なんと云つてもやめてみせる」
非常な決意である。あまりその声が大きかつたので、隣の部屋で勉強してゐた長女の国民学校二年生が、「お父ちやん、なにやめるの?」と、唐紙を開けて訊きに来た。
浦野今市君は、無理に微笑を浮べようとしたが、頬がつつ張つていふことをきかない。
細君は、夫の顔をちらと見て急いで眼を伏せた。
そして、眼を伏せたまゝ、娘の方へ、少しうつろな声で、云つた。
「あとで教へてあげるから、さ、早く勉強しておしまひ」
それ以来、もうかれこれ二ヶ月になるが、浦野今市君は、文字通り禁酒を実行して来た。時と場所と相手に応じて、或は胃潰瘍と瞞し、或は一滴も飲めぬと
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